OJ Spender
Orange
神奈川県逗子市出身。多摩大学グローバルスタディーズ学部在学中。(現在5年生)
大学で音楽サークルに入る。そこでロックミュージックに衝撃を受け自身もオリジナルバンドを結成。オーストラリア出身のロックバンドAC/DCを崇拝し"彼らが死ぬ前に会いたい"と言う理由でオーストラリアに1年間ワーキングホリデーで滞在。(オーストラリア滞在一週間目でAC/DCのメンバーは亡くなった。)
現在は、音楽作成を行う傍ら水煙草屋で働き、世界のロック音楽を散策しながらすごす日々を送っている。
"面白さを第一に"を行動理念にしている。
しかし、面白さに引かれてオーストラリアにてマルチ商法に引っかかった事は後悔している。
ルックスは典型的な日本人であるが、父親はトルコ人、母親は日本人のハーフである。
母親がイギリスに留学中、関係を持っていたトルコの政治家と一晩の過ちを起こしてしまった事がきっかけでこの世に生を授かる。出生後、母親と日本に早々に帰ったためトルコ語は話せない。
トルコ本国に帰国した父のことは全く恨んでないが、16歳の時偶然Facebookで父を見つけて"Do you remember me?"とメッセージを送ったところブロックされたことに関しては恨みを持っている。
少年時代は変わった名前と運動音痴な事を理由に、いじめられていた。
中学生になった時"格闘技が出来れば虐められない"と思い柔道部に入部。中学2年生で地区大会で入賞し県大会に出場。県大会では入賞を逃し3年生最後の大会に全てをかけて猛練習に励むが、大会が迫った頃、道場の師範との練習中に師範に左手を折られ文字通り挫折。
高校では、"柔道は寝技や関節があり危ないから打撃系なら安全"と言う理由でボクシングを始める。17歳の時にジムからプロボクサーテストを受ける事を許可されるが"世界レベルのボクサーになるためにアメリカに行く"と言う人生最大の迷言を吐きプロテストを拒否、その後ジムで孤立し高校を休学しフィリピンに行く。フィリピンでは現地人に混じり半年間ボクサーとして活動する。
フィリピンから帰国後、高校を卒業しフィリピンにて言語力がないがゆえにコミュニケーションが取れなかった事に悔いが残り英語を学べる大学に入学。その後オーストラリアにワーキングホリデーで1年間滞在。
多く人種の人と関わる中で、"どんな人でも結局分かり合える"と言う事を感じ、それを人生のモットーとしている。
オーストラリア帰国後は迷走を繰り返したが現在は水煙草屋で働いている。
自身が働く水煙草屋にてアルバイトで勤務していたJasminに心を惹かれOJ Spenderを結団。
「おい、Jasmin、パンクバンドやろうぜ」と自身の働く店で言っている。
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